療育を約10カ月続けてきて感じること。
私自身も、はじめは療育の意味、効果について疑問視する部分もあった。
10カ月経過した今感じるのは、子ども以上に自分にとって意義があること
であったなということだ。
療育により様々だと思うが、子どもが療育している間に
親(主に母)がグループミーティング?を先生としたり、
療育後に先生と話す時間が設けられている。これが重要。
初期は「め、めんどくさい」「何を話せば」などの感情が
渦巻いていたけれど、
・子どもの状況を伝える
・困ったことを話す
がメイン。
(1)毎週話さなければいけないから、自然と
子どもを観察し、観察上手になってくる。
(2)「こんなことについて困っています」
→この時はこういう風に声がけする、対応してあげる
とよい、と先生がアドバイスしてくれるので「困り感」が減ってくる。
(3)親の対応が上手になるから、子どもの困り感が更に減る。
こういう図式である。
私達は、褒められて育てられた世代ではない(そういうご家庭も
あるとは思うが)のである種「褒め下手」だし、サザエさんも
ドラえもんもクレヨンしんちゃんを見ていた世代は、何かあれば
「コラー!」と言えばいいのではないか?とすら思いがち。
私自身、気付けば怒鳴ることしか育児知識がなかった。
というより無意識にそう蓄積されていた。
そんな私達親側に「育児観」を修正することが何より大事であり、
子どもにとっても与える影響は大きいと感じる。
九九や元素記号は習ったけれど、「子どもの育て方」なんて
教わったこともないのに、産まれてしまえばその瞬間から親になる。
産めよ育てよと言われても、「産まない」を選択した人のなかには、
何よりそのプレッシャーに耐えられない人も少なくないのではないかと
私は思う。(私自身も子どもが産まれた瞬間、喜びと共に「ど、どうしよう」
という気持ちが50%を占めていた)
「療育なんて意味ないし」
「療育なんて遊ぶだけでしょ」
「療育に通うことで子どもにレッテルを貼りたくない」
という考え方もあるけれど、
一定期間通ってみて本当に意味がなかったと感じたらやめればいいし、
公園で遊ばせるよりも心理士さんがつきっきりで遊んでくれるのだから
安心だし、「療育に通っています」と公言しない限り周囲も気づかない。
なんとなく習い事をやらせてみる。
という選択肢があるなら、
なんとなく療育をやらせてみる。
という選択肢もあっていいのではないだろうか。
何より、受けたくても受けられない人だって大勢いるのだから、
もし「受けられる」ということになったのであれば。
「なんとなく療育」という響きはよくないかもしれないけれど、
不安感たっぷりの親側にとって「入り」は「なんとなく」という気軽な
感じでもいいかと思う。
療育の世界は入ってみないと分からないものだ。
私が入ってから気づけたことは、
(子ども側のメリット)
*似た立場の子と少人数で遊ぶことができる
*気の合う子が作りやすい
*先生が子どもの気持ちを代弁してくれる
*遊びのなかでさりげなく「人との適切なかかわり方」を教えてくれる
(親側のメリット)
*同じ悩みを持つ人と出会うことができる
*先輩ママから情報を得られる
*話すことでストレス発散
*発達障害について知識を深めることができる
最近、私の周りの小学生の子を持つママが軒並み
「あの時療育に通わせていれば」と口々に言っている。
療育は就学前までしか受けられないのだ。
本当にグレーで知識のある園の先生すら気づけなったという場合もあるけれど、
少しでもおや?と思うことがあれば、積極的に療育参加に向けて動いても
けっしてムダでないと思う。